夢も希望もポケットにつめて

これからもその笑顔が ずっと続きますように

信じる勇気

 

ついに!!!北ニカ(公式表記に合わせますね)ドラマだぞ〜〜〜!!!

しかも!!!モテたいぜ トゥナイト!!!学園モノ〜〜〜!!!バースデーじゃなくてよかったー!(こら)

もちろん『Happy Birthday』が大好きで、今や千賀さんが某キスマイ番組(伏せ字の意味)で使えちゃうくらいのバースーデーソングができたことは嬉しかったしキスマイにとっても良いことだらけ(そういや冬Yummy!!でも祝われたな?恐怖の個人情報MC(笑))だったけれど、

待ち焦がれた北ニカユニットがバースデーソングだと知ったときのTLのヲタクたちが全てを物語っていた。

 

いいんだよ!『Happy Birthday』大好きなんだよ!お祝い事でキスマイのバースデーソングかけられるの嬉しいんだよ!でもさあ!!!

私たちが北ニカに求めてたのそれじゃないじゃん...って。まあヲタクのエゴですね。

キスマイはみんな、自分よりメンバーが、グループがってマインドで生きている最高すぎる集団で、その中でもこの2人はバランサーとして、キスマイのために必要なものを自らが作り出そうとする。だからこそ、構成や演出を任せられるとうまいのだけれど。

でもやっぱりヲタクは自分たちらしさ満載のやりたいことをやって欲しい、私たちが考える2人はこうだという(勝手な)思いをぶつけてしまう。それがエゴだと知りながら。

 

だから初めて予告をみたとき、驚いた。

そして一瞬フリーズした。

でもそれはBE LOVEの時のそれと同じ。

え、君たちそこに切り込みます?という。

そして

え!学園モノじゃん!二階堂さんがモテない大学生役?しかもそれを提供したのが北山さん?なにそれ最高じゃん!とこの文章の初めに戻る。

 

と、例の件についてはこれくらいにしておこうと思っていたけど、たとえ一個人の見解だとしても黙ってるのはもう限界だったりして、いつかそんなこともあったねぇなんて笑ってる未来のために、周りに惑わされないうちに、無意識にぶれてしまわないうちに、自分自身の気持ちだけはしっかり残しておくことにした。誰も文句の言えない、手を出せない、私だけの気持ちを。後悔しないために。

 

確かに初見は驚きと同時にこれ大丈夫かな?という気持ちがあった。それは本当。だけどそれは、挑戦したからこその代償というか、それを見越しての挑戦、予告。だって快感インストールは第1弾BE LOVEに続くdTVの第2弾なのだから。

そもそも、まだ本編を観てもいない段階から一体何を言えるというのだろうか。まして誰もが観ることができる地上波ではなく、観たい人が権利を得て観る有料放送の番組に対して。地上波であっても、私たちには観ない権利がある。観たいなら観ればいいし、嫌なら観ないという選択をすればいい。そこには自由がある。

それなのに、今度は違う自由を武器に片手間でサクッと攻撃ができるのだから、自由はなんて恐ろしいのだろう。たった一言の好き、嫌いという個人の感想であっても、その数が多くて大きいものになれば一瞬にして人を傷つける暴力になってしまう。あちらはそれを武器に言いたいことを言っているわけなので、こちらも自分の意見くらいいいよねと開き直った

だから嫌な方は今すぐお帰りくださることを願います。

 

 

いろいろな意見があるけれど、まず観てから言おうか?というのが率直な思い。それは本編をという意味でもあるし、予告すらも観ずにただ自由という武器を振り回している人も多いという意味だ。後者は特にただ文句が言いたいだけの人なのでひとまず気にしないというのが一番なのだが、告知から配信開始までのせっかくのワクワク期間を邪魔されたのだから我慢できない部分でもある。おかげで「わたしの考えこそが正しい」と思ってしまうことの怖さを学べたが(嫌味)。

さらに納得いかないのは、そのうちの一体何人が本編を観る(観る環境がある)のだろうか?騒ぐだけ騒いで飽きたら次。そんな人たちに消費されるための作品ではない。

もちろん、無理だ、観れないという人もいるだろうし、その人に観ることを強要はできないけれど(価値観は人それぞれなので)、そうではなくてただ祭りに参加したかっただけの人は1話を観て欲しい。何をそんなにムキになっていたのだろうと思うんじゃないだろうか。私はそう思った。一体何を戦っていたのだろう。正体のない敵は本当に無だったのかもしれない。

いざ飛び込めばなんてことないエンタメだった。おバカで可愛い男たちの。

これは予告が先走ったのかなと思うくらいに、コメディ強めのラブコメ

むしろエッチなドラマと宣伝した手前、全然じゃねーか!っていう方のクレームきません?大丈夫?と勝手に心配にした。

これが1話を視聴しての私の率直な感想。そしてこの気持ちを、思考を、誰も邪魔することはできない。私はバカだな〜可愛いな〜と感じた。面白いと思った。ただそれだけ。

 

だが、それを受け入れられない人がいるのも事実だ。確かに万人受けするものではないと思う。しかしそれはどんな作品であってもそうだ。誰ひとり嫌な気持ちにならない、つまらないと思わない、そんなものは存在しない。当たり前である。一人一人価値観が違うのだから。

その事実を受け入れられないとして、理解しようとすることこそが多様性を認めるということなのではないか。

私の大好きな有川浩さんの著書「図書館戦争」にある

『正論は正しい、だが正論を武器にするのは正しくない。』

まさにこの一言。

 

この作品が好きか嫌いかは個人の主観でしかないので一旦おいて、仮にエンタメとして正しくないのだとしたとき、それを武器に運動を行ったり、過激な問い合わせをしたり、楽しみに待っている人を傷つけたりする行為は、果たして正しいのだろうか。では、エンタメとして正しくないという仮定が間違っていたとしたら、どうか。それは正義の皮を被ったただの暴力になってしまわないか。

簡単に自分の考えが言えるようになった。

多様性が認められるようになった。

だからこそ、些細なことで他人から何かを奪ったり、傷つけたりできてしまう。

今までなら気付かなかったことに気づけてしまう。

自分を守るために嘘をついたり、見て見ぬふりをしたりする。

そうやって気付かないうちに自分だけの思考が、思考するという行為が奪われていくのかもしれない(図書館戦争に引っ張られてるな)。

 

 

1話を観て、私は2人の本気度を改めて痛感した。これはBE LOVEの時にも感じたことだが、どこか色眼鏡でみられがちだったものが、いざ配信を観てみると、ここまで真剣に向き合っていたものだったのかと分かる。これは決して遊びではない。バラエティでもない。わざわざキスどきとは別枠を設けて時間帯も変えて配信している意図をもっと信じて良い。

 

それでも突っかかってくる人には、価値観が違うのだもう分かり合えないのなら仕方ないとある程度諦めることも大切だ。これ以上、自分が苦しまないために。

 

そしてわたしは、そんな人たちに消費されるための文章を、まして燃料にされるための言葉を綴ったつもりもない。こういう人も存在するし、考え方もあるのだと知って欲しかっただけだ。自分の信じるものだけが正解ではない、正義ではないと。

だからこそ、予告、プロモーションはもっと慎重でも良かったとは思う。まずそこで一歩引かれたら、どんなに良い作品であろうとみてもらうことができないし、何より、新規顧客を獲得するために既存顧客を手放すようでは意味がないから。入り口を広げることも大事だけれど、今あるものを大切に守ることはもっと重要視してほしい。

 

 

 

快感インストール、タイトルと予告の衝撃はあれど、ピュアで可愛い、ちょっぴり背伸びしたいおバカな男たちの青春ドラマで面白かった。展開が早いから1話てんこ盛りだし、学園モノだし(重要)。キュンシーンも最終話がクリスマスなのも期待しかないですね。

2人の傘なんか大きくない?芸能人仕様ですか?と笑ったり、タカくんよりカズマの方がよっぽどヤベー奴だなと驚いたり、この人本当に童貞なんじゃないかと演技に感動したり。いつの間にそんな演技するようになったの!と母の気持ちで泣いた(なんで)。カズマ、全然普通のちょっとやばい大学の先輩感満載だったけど、演じてるの35歳って嘘じゃん?信じられる?

色々あったけどエンディングの

「和室で親友とモテたいぜトゥナイトを踊ってみた」

なタカとカズマの可愛さで全部チャラでしょ(暴論)

ほんとこれだけは頼むよ!!!!!!!

私は本編よりもこのエンディングで、キスマイのこれからをしっかり考えている人だなぁ頼もしいなぁと感心した(上から目線ですみません)。信じたいもの、人を信じてれば無駄に傷つくことなんてなかった。

 

大丈夫、自分と、自分が信じたいものを信じて胸を張っていればいい。

『Camellia』の「キミはキミだから さぁ胸を張れ」という歌詞が染みる。

 

 

だけど、私もそこまでできた人間ではないので、蓋を開けてみればケチをつけるほどのことはないこんなに良い作品を、自分たちの価値観で一部を切り取って好き勝手に批判され、素直に楽しませてもらえなかったことずっと覚えているだろうな(怖いよ)。思考の違いとはいえ、きっとブログでもラジオでも宣伝したり語ったりしたかっただろうその楽しみを奪われたことも忘れない。あんなにいつも様子のおかしい公式(おい)が、前回と比べて明らかに気を使っているのがわかるので、こんな空気にされたの本当許すまじ。だからわたしはまず自分自身で考えて、それから答えを出せる人でありたいと思う。誰にも流されないように。それが難しいのだけれど。

 

もっと気軽に好きなものが好きだと言えて、それを認め合えるようになればいいし、そういうふうにしていきたいものですね。